特別審査員 倍賞 千恵子さん
都電とともにあった滝野川での暮らし
父は都電の運転手でした。疎開先の茨城から東京に戻ってきて、最初に住んだ滝野川の家は、都電の線路のすぐそば。車掌さんが鳴らす「チンチン!」という鈴の音と、「ガーッ」という独特の走行音を毎日聞いていました。都電というと真っ先にあの音を思い出しますね。六畳と四畳半と縁側しかない家で、私と妹と弟の三人兄弟でしたから、玄関が夜になると勉強部屋でした。都電の運転手は早番と遅番があって、早番で帰ってくると子どもたちがいるから寝る場所がないんですよね。だから父はよく押し入れで昼寝をして、夜になるとまた出かけたりしていました。
父はお酒を飲む人だったので、お給料が出る日は飲んでしまわないように、早稲田の営業所まで迎えに行きました。母に言われて、妹と弟と三人で。滝野川五丁目から早稲田車庫前まで電車を乗り継いで、子どもにとっては結構な長旅ですよね。迎えに行くと必ず父が、当時車庫の前にあった甘味屋さんで、私たちに小倉アイスを食べさせてくれるんですよ。その思い出はとても強く残っていますね。
荒川線の走る姿に抱く郷愁と未来の夢
父は定年前に退職し「運転免許を取るんだ」と、教習所に通い始めました。でも初日にすごく怒って帰ってきて「あんなものやめた!」。聞けば「自分は今まで軌道の上をまっすぐ走ってきた。あんな何もないところを走る車なんてまっぴらだ!」って(笑)。全盛期の都電は東京中に線路があって、道路の真ん中を悠々と走ってましたものね。
今も走る都電は荒川線だけですが、昔の面影が残っているのはうれしいです。飛鳥山の近くのホールでコンサートをするとき、荒川線を見ると本当に懐かしくて。沿線の人たちが暮らしの中で大切に守っている風景がありますね。また乗りたいなあと思います。荒川線で貸し切りコンサートなんてどうかしら。
倍賞さんが妹弟とお父さんを迎えに行った早稲田電車営業所
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倍賞 千恵子さん
1941年、東京生まれ。女優。1960年、松竹音楽舞踊学校卒業後、松竹歌劇団(SKD)入団。1961年、松竹映画「斑女」でデビュー。1969年、芸術選奨文部大臣賞をはじめ受賞多数。映画「男はつらいよ」のさくら役に代表される庶民派女優として、また歌手としても親しまれ活躍中。