思い出ガタゴト 東京都電diary

寺内廣壽さん

寺内廣壽さん
元・交通局長

1942年、東京生まれ。65年 中央大学卒業後、東京都採用、大塚電車営業所に配属。以降、副知事秘書、報道課長、情報連絡室参事、交通局電車部長、交通局長等を歴任。02年 東京都退職。

みんなの思い出をのせ、荒川線は未来へ走る。

かつて都内の交通機関の主役として活躍した都電。自動車の普及にともない姿を消す中、最後まで残った2路線を一本化し1974年10月1日に誕生したのが荒川線です。10月1日は「荒川線の日」。そして今年は、都電が市電として誕生して105周年の年。東京都交通局では「東京都電diary」と題し、皆さんの思い出エピソードを募集しました。いよいよ来週から、入選作50本を順次掲載予定です。連載に先立ち、特別審査員の倍賞千恵子さんと、東京都交通局の元局長・寺内廣壽さんの特別対談をお届けします。

倍賞千恵子さん

倍賞千恵子さん
女優

1941年、東京生まれ。60年 松竹音楽舞踊学校卒業後、松竹歌劇団(SKD)入団。61年 松竹映画「斑女」でデビュー。69年芸術選奨文部大臣賞をはじめ受賞多数。映画「男はつらいよ」のさくら役に代表される庶民派女優として、また歌手としても親しまれ活躍中。

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すべての人に優しい電車として安全運行を。(寺内さん)

寺内 初めまして。私は、昭和四十年に交通局に入りまして、都電の現場には職員として五年ほどおりました。倍賞さんのお父さまは、都電の運転手をされていたんですよね。

倍賞 はい、父は運転手をしておりました。早番と遅番があって、早番で帰ってくると、当時の家は六畳と四畳半だけでしたので寝るところがなくてね。父は押し入れで昼寝をしてまた出掛けていました。

寺内 お父さんが運転されている電車にも乗りましたか。

倍賞 私は、十二、三歳のころ、童謡を歌っていまして、青山にあるレコード会社にお稽古に通っていたんです。滝野川から都電に乗って神保町で乗り換えて、青山通りから表参道を通って。父の運転する電車に乗り合わせたことも何回かありました。父が運転する横に立って「ねえ、窓開けて」って頼んで、気持ちよく風を受けながらお稽古に行ったことを覚えています。

寺内 そのころから昭和三十年代の半ばくらいが都電の最盛期ですね。四十一系統まであり、一日に百七十~百八十万人が乗っていたそうです。黄色に赤帯が象徴的な車両ですね。

倍賞 私が一番覚えているのはグリーンの車両です。あとはガーッと走る音と、チンチーン!という音が印象に残っていますね。

寺内 まさに、チンチン電車でしたよね。

倍賞 窓から見える街並みもいいもんでしたよね。すぐそばのおうちで何を食べているか見えちゃうぐらい(笑)。そういうのもすごく面白かった。

寺内 昭和三十五年あたりから、車が都電を追い抜いて行くようになって、乗るお客さんもだんだん減って、昭和四十七年には本格的に廃止になりました。

倍賞 でも、大塚のあたりには路面電車の風情が今もありますよね。

寺内 それが荒川線ですね。二十七系統と三十二系統を一本にしたもので、路面ではなく専用軌道が多かったので、唯一残ったんです。

倍賞 早稲田の車庫には、兄弟でよく父を迎えに行きましたね。父が車庫の前のお店で小倉アイスを買ってくれた思い出があります。いつだったか兄弟で巣鴨から早稲田まで乗ったこともありました。季節ははっきり覚えてる、夏でした。都電って空気や地べたに近いんでしょうね。隔たりがないというか、地べた続きに停留場があって、地べた続きで走っている気がします。

寺内 花もきれいですよね。沿線関係区の方々のご協力で、季節ごとに咲いていて、公園の中を走っているようです。

倍賞 貴重ですよね。ずっと残っていてほしい。都電は人の手で動いている気がします。

寺内 小さなお子さんからお年寄りまでみんなに優しい乗り物として、安全運行で走り続けてほしいと思っています。

倍賞 私も、ぜひまた乗りに行きたいです。

  • 銀座四丁目交差点を行き交う1系統。都電のフラッグシップであった系統は1967年に廃止された
  • 「都電diary」の応募作品には車掌の描写も多く見られた。シンボルともいえる黒革のかばんと腕章

人の暮らしのすぐ近くを走り続けてほしい。(倍賞さん)

インタビュー特別審査員

紙面掲載日:2月17日

Interview

特別審査員 倍賞 千恵子さん  

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都電とともにあった滝野川での暮らし

 父は都電の運転手でした。疎開先の茨城から東京に戻ってきて、最初に住んだ滝野川の家は、都電の線路のすぐそば。車掌さんが鳴らす「チンチン!」という鈴の音と、「ガーッ」という独特の走行音を毎日聞いていました。都電というと真っ先にあの音を思い出しますね。六畳と四畳半と縁側しかない家で、私と妹と弟の三人兄弟でしたから、玄関が夜になると勉強部屋でした。都電の運転手は早番と遅番があって、早番で帰ってくると子どもたちがいるから寝る場所がないんですよね。だから父はよく押し入れで昼寝をして、夜になるとまた出かけたりしていました。

 父はお酒を飲む人だったので、お給料が出る日は飲んでしまわないように、早稲田の営業所まで迎えに行きました。母に言われて、妹と弟と三人で。滝野川五丁目から早稲田車庫前まで電車を乗り継いで、子どもにとっては結構な長旅ですよね。迎えに行くと必ず父が、当時車庫の前にあった甘味屋さんで、私たちに小倉アイスを食べさせてくれるんですよ。その思い出はとても強く残っていますね。

荒川線の走る姿に抱く郷愁と未来の夢

 父は定年前に退職し「運転免許を取るんだ」と、教習所に通い始めました。でも初日にすごく怒って帰ってきて「あんなものやめた!」。聞けば「自分は今まで軌道の上をまっすぐ走ってきた。あんな何もないところを走る車なんてまっぴらだ!」って(笑)。全盛期の都電は東京中に線路があって、道路の真ん中を悠々と走ってましたものね。

 今も走る都電は荒川線だけですが、昔の面影が残っているのはうれしいです。飛鳥山の近くのホールでコンサートをするとき、荒川線を見ると本当に懐かしくて。沿線の人たちが暮らしの中で大切に守っている風景がありますね。また乗りたいなあと思います。荒川線で貸し切りコンサートなんてどうかしら。

倍賞さんが妹弟とお父さんを迎えに行った早稲田電車営業所

倍賞 千恵子さん

1941年、東京生まれ。女優。1960年、松竹音楽舞踊学校卒業後、松竹歌劇団(SKD)入団。1961年、松竹映画「斑女」でデビュー。1969年、芸術選奨文部大臣賞をはじめ受賞多数。映画「男はつらいよ」のさくら役に代表される庶民派女優として、また歌手としても親しまれ活躍中。

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連載入選作50本(順次掲載予定)

ここに連載されている作品は、平成28年5月20日から8月15日まで募集していた「東京都電diary」に応募された作品です。

写真でふりかえる…都電の100年
「都営交通100周年 都電写真集」 価格:3,800円(税込)


販売場所

■ 書泉グランデ
TEL:03-3295-0011
住所:東京都千代田区神田神保町1-3-2

■ 書泉ブックタワー
TEL:03-5296-0051
住所:東京都千代田区神田佐久間町1-11-1

都電荒川線シートモケットクッションの販売

都電荒川線の8900形車両で使用している座席生地を、質感も再現しクッションにしました。実物の新品生地を裁断して作っているので、1枚1枚絵柄が異なります。

寸法

たて約38cm×よこ約40cm×厚さ約5.5cm

発売数

限定2,000枚 ※売り切れ次第終了

価格

1枚3,900円(税込)

発売日

平成28年10月10日(月・祝)

発売場所

荒川電車営業所
※その他、以下からもお求めになれます(別途配送料等が必要)。
(ホビダス)http://shopping.hobidas.com/shop/g/g116563

都電荒川線愛称決定

2017年3月17日から4月7日まで募集していた、都電荒川線の愛称が「東京さくらトラム」に決定しました。
今後は、この愛称を積極的に使用して都電の魅力を国内外に広くアピールしてまいります。

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