都電で上野
太田和 幸子 58歳 東京都墨田区在住
昭和四十年代の頃、我が家はいつも都電を使っていました。最寄りの停留場は、十間橋。父が仕事に通うのも、母と私たち姉妹が買い物、映画に行くのも、この停留場から。都電に乗れば、車掌さんの黒いバッグや、チンチンって鳴る音。楽しい思い出がいっぱいです。
初めて友達同士で出かけた時も都電でした。当時の私は十一歳。十月一日の「都民の日」に、友達と一緒に上野動物園に遊びに行くことになりました。当時は都民の日が近くなると、学校から「河童のバッヂ」が配られ、それを見せると、動物園など都内にある施設に無料で入ることができたからです。
バッジを胸に付けて、同級生の何人かと都電に乗り込み、上野まで乗車。本所吾妻橋を走り、雷門を過ぎ、ワイワイとたわいもない話に花を咲かせながらの時間は、動物園で遊んだ記憶よりも強く印象に残っているくらいに楽しいものでした。
他の電車より親しみやすく、気軽な感じの都電のことを、当時の私たちはもう一人の友達のように感じていたのかもしれません。
その上野行きの都電(二十四系統 福神橋~須田町)が廃止になったのは、昭和四十七年。私が中学一年生の頃だったように記憶しています。
一緒に動物園に行った友達の一人から「もう都電なくなっちゃうって」と聞いて、家からカメラを持ち出し、写真を撮りに行きました。
それから十数年後、アルバムを整理している時に、ふと一枚の写真に目が留まりました。そこに貼られていたのは、真正面から撮った都電。
なんだかちょっと悲しそうに見えました。