特別審査員 藪野 健さん
東京に都電がなかったら「都市」とはいえない
私が早稲田大学に入学したのは昭和三十年代、都電全盛期でしたね。一番好きだったのは、緑色とクリーム色の車両、六〇〇〇形。おでこが広くて、頭がよさそうで、美しかった、あれは傑作ですね。もっと古い時代の車両は、乗降口に扉がなくて、トントンと上がると運転席の後ろに引き戸があった。中に入ると、ダブルルーフに明かり取りの窓があったり、上げ下げできるよろい戸もあった。四隅は丸いラウンドになっていたりと、手がこんでいましたね。大工さんの知恵や丁寧な技が随所に見られて、実に楽しかった。
東京、名古屋、京都、マドリードなど訪れた街ごとに、私は市街電車に出会ってきました。都市には市街電車が必要なんです。なぜかというと、市街電車は動く建築、動く街並みなんですよね。都市はひとつの色じゃないから面白い。山の手があって下町があって、海があって山もあって、表があって裏があって。そういう東京のあらゆる色の中に、かつての都電は走っていた。都電がいなければ都市じゃない、東京じゃないんですよね。
未来の都電は昔よりも
もっと面白くなってほしい
現役の都電は荒川線だけですが、函館など全国の市街電車に譲渡した旧都電車両を呼び戻して、中身は最新式の制御システムにして走らせてほしいなあ。「新橋ステンション」の建物を出て、日本橋を通って浅草まで行く観光都電。未来にはリニアのような超高速だけじゃなく、超低速も出てくると思うので。都電にはまだまだやってほしいことがいっぱいあります。乗っていると「健康になる電車」、「ゆかいになる電車」、「幸福になる電車」。高架鉄道よりも高い高層ビルの間を結ぶ電車、なんていうものも将来的には必要になるかもしれない。未来の都電はすごく面白いことができるんじゃないかと思っています。
藪野さんの数ある都電作品の中から「都電荒川線鬼子母神前」
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藪野 健さん
1943年、愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学栄誉フェロー、名誉教授。画家、日本藝術院会員、二紀会副理事長、府中市美術館館長。1969年、早稲田大学大学院文学研究科美術史修了。1970~71年、マドリード、サン・フェルナンド美術学校プロフェソラード留学。主な著書に『東京2時間ウォーキング 都電荒川線』(中央公論新社)、『たてものをかく』(ポプラ社)など。