お帰りなさい
市川 和子 56歳 東京都板橋区在住
母の実家は銀座方面から勝鬨橋を渡り、月島通八丁目の大きな交差点を右に曲がり、そこから歩いて十分程の所に在り、築地市場で仲買いを営んでいた。
六才の夏休み、そろそろ祖父が都電に乗って帰って来る時間だからと、祖母に促されたのか?自分で思い立ったのか?わからないが、終点の月島停留場へ行って待つことにした。この辺りはよく遊びにきていたので、広い通りを迷うことなく、すたすたと目的地までひとりで歩く様は、好奇心で満ちあふれていた。
洋裁が得意な母が作ったクリーム色のワンピースを着て、おめかしをして出かけた。真夏の午後二時の日差しは、遮るものが何もない停留場へ容赦なく照りつけた。
まぶしさに眼を細め、止めどなく顔にかかる汗をぬぐいながら、じいっと立っていた。周りに知り合いもいなくて、「本当に来るのかしら」という不安と戦いながら、祖父が乗っている都電を待った。
やがて、特有の合図音とともに、黄色い車体がこちらへ向かってきた。徐々に迫り来る雄姿を、今か今かとドキドキしながら、見つめていた。停車した都電からは大勢の人が足早に次々と降りてくるので、祖父を見逃してはいけないと、眼を見開いてひたすら探した。
そして、見知った顔と目が合い、ニコッと笑った私に、祖父が「うーん?」と驚いた様子で近付いてきた。いつもの声で「ひとりで来たのかい?」の問いに、私はゆっくり頷く。あの時は随分と大きく感じた手をつなぎながら、帰路についた。
三十二年前に七十七才で他界した祖父が、五十代だったセピア色の記憶。