幼かった頃の素晴らしい宝物
髙橋 康浩 52歳 埼玉県春日部市在住
私は都電が大好きでした。通っていた保育園の自由時間には、仲の良かった友達とかわりばんこに車掌と運転手に扮してよく遊んでいました。「チンチン!次は四ノ橋~次は四ノ橋~」などと大声を出しながら、たくさんの友達をブランコに乗せてゆさゆさと揺らしながら、“都電ごっこ”をして遊ぶのが大のお気に入りでした。
一番よく乗っていたのが、三十四系統。四ノ橋停留場から母と一緒に乗り、渋谷へお出かけに行くことが楽しみでなりませんでした。母が利用していたのは、八系統。和裁や洋裁の仕事で、よく虎ノ門へ出かけていたといいます。私たちの生活のなかには、いつも都電がありました。
昭和四十四年十月二十五日で、大好きな都電が無くなることを知った時、「都電にさよならしたいから、どうしても乗りたい」と母にお願いしました。当日は保育園をお休みして、三十四系統に乗り、渋谷駅前と金杉橋を往復。それでもまだ都電に乗りたくて、四ノ橋に戻っても「次は七番に乗りたい!」とわがままを言いましたが、母はそれにも応えてくれました。雨が降っているにも関わらず。
きれいにモールで飾り付けられた七系統に乗り、今度は四谷三丁目と泉岳寺前を往復。一日中、都電に乗り、大好きな都電とお別れすることができました。
雨の日には、今も時々思い出します。一緒に都電ごっこをして遊んだ仲良しの顔、お出かけの度に乗っていた都電のこと、廃止日の装飾電車のこと。そして、雨の中でも私のわがままに付き合ってくれた母の優しさを。
子供時代に素晴らしい思い出を残してくれた都電が、今でも私は大好きです。
宝物をありがとう。