Oさんの思い出
佐藤 節子 81歳 千葉県柏市在住
八十歳を過ぎた今も、故郷の街を行き交う都電の音や響きが懐かしい。
通三丁目と王子駅を結ぶ十九系統の「西ケ原一丁目」が私の家から最も近い停留場で、旧古河庭園が目の前だった。幼い頃に見た花電車のことなど、遠い夢のようである。まだ空襲のない時代には飛鳥山へお花見にもよく行った。
二十五歳で結婚することになり、その半年ほど前、日本橋で天麩羅屋を営むOさんが仲人役として我が家に足を運んでくださった。その日のOさんは紋付の羽織姿であった。ひと通り挨拶が済んで座が寛いだ頃、Oさんがにこやかに次のように話し出された。
Oさんの店は同じ十九系統の「室町三丁目」の近くにあり、そこから我が家までは約一時間だったと思う。その都電に乗られたOさんはふと思いついたという。
神田駅前で都電を降り、国電で駒込まで行ってから再び都電に乗ったほうが早く着くのではないか―と。そこで、運転手さんに自分の考えを伝え、神田駅前で国電に乗り換え、駒込駅前で再び停まっていた都電に乗ったところ、目が合った運転手さんは初めに乗ったときと同じ人だったそうである。
その日は顔合わせの場ということもあり、皆が緊張していたが、Oさんがにこやかな顔でその話をしてくれたおかげで、父も私もほっとして、一気に場が和やかになったのを、五十年以上たった今でもはっきりと覚えている。帰り際に見送りに出た私にOさんは、「今度は都電で真直ぐ帰ります」とひとこと言われた。