父と乗った都電
長谷川 隆 58歳 東京都新宿区在住
私の父は先の戦争で左足義足の生活を余儀なくされたので、友人がお父さんとかけっこをしたり、キャッチボールをするなど小学生としてはごくごく当たり前の父との触れ合いがありませんでした。しかしこれだけは負けないという思いが、私と父にはありました。それは「都電に乗って都内を巡る事」でした。
父にとっても、高架に地下にと昇降しないと利用できない電車と違い、地上で乗れて右へ左へと横に動くエレベーターの如くの都電は便利でした。
特に休みの日になると、私を必ず誘って、都電に乗って都内各地を巡りました。
時には日本橋に用事があった祖母も一緒になり、三世代で都電に乗り、移動をしました。
「あれが皇居、あそこが帝国ホテル、こっちは浅草の・・・」などなど。
なにせ地上を走るのですから、父の案内の下、建物、観光名所が手に取るように判り、目に焼き付きました。私にとって、都電は「走る都内地図」でした。
その後、都電の多くは廃止されてしまったものの、今も東京都内を地図などなくても行けるのは、都電に乗ったあの時の父の案内、触れ合いがあったからです。
あのときの父の姿を今思いだし、これからの日本の高齢化社会を考えると、体に不自由さを感じる人も多くなると思います。都内での移動手段に都電が走っていさえすれば、地下へ高架への面倒をする事なく、地上でスッと乗車下車が出来ます。
父とともに見た、走る都電からの銀座を、また見てみたいものです。
現在、鉄道に乗ること、鉄道の写真を撮ることを趣味にしているのは、この時の想いを大切にしたいから。父に、そして想い出を運んでくれた都電、ありがとう。