暖かい記憶
菅井陽子 47歳 東京都文京区在住
重い体を引きずるようにして、三ノ輪橋行きの都電に乗った。面影橋から大塚までは十五分ほど。残業続きで心も体も疲れていた。仕事中、お客様の前以外では笑っていないと同僚に指摘されたが、確かに電車の窓に映った自分の顔は、こわばった表情のキツイ女の顔だ。
「顔色が悪いわ。お座りなさい。」
祖母くらいの年齢の御婦人に席を譲られた。心配そうな眼差しで、私のために自分の席を立ってくださった。
「私にもあなたくらいの孫がいるの。疲れているようだから遠慮はなしよ。」と降車口へ行ってしまった。ありがたく座ると、席がほんのり暖かい。
ふいに、小学生の頃、祖母の家で並んでイチゴジャムをつくった夜を思い出す。コゲないよう鍋の底から混ぜること。ピンクの泡はすくってとること。祖父はこのジャムが一番好きだということ。いろんな話をして祖母と過ごした夜。今思えば祖母からたくさんのことを教えられたが、その言葉の真意を理解するには私はまだまだ幼かった。
「頑張ることはいいことだけど、前のめりになり過ぎるのは良くないことよ。」と祖母から言われた意味に、今晩やっと気づく。気持ちに余裕がなくて狭くなっていた視野が、少しだけ広がった。御婦人から孫のように接してもらったことで、祖母との暖かい記憶がよみがえったせいだ。
あの御婦人が停留場にいる。そういえば、きちんとお礼を言っていない。慌ててお辞儀をして手を振ると、くしゃくしゃの笑顔で手を振ってくれた。