父は都電の運転手
平田 初枝 68歳 東京都練馬区在住
父は都電の運転手。大塚電車営業所に勤め、日々大塚駅前から錦糸町駅前間を往復していた。早出、中休、遅出、終電など変則的な勤務に、父がいつ出て行って、いつ帰ってくるのか、よく分かっていなかった。それでも、どこで手に入れたのか、業務を終えた父が持ち帰ってくるあんぱんを、子どもたちで分け合いながら食べるのが楽しみだった。
中学卒業後は看護婦になりたかったのだが、両親は猛反対。高校だけは卒業するようにと説得された。しかも、父が心に決めていた高校は、珠算・簿記でも有名な商業高校で父の運転する路線にあった。看護婦になりたい私と、商業高校を出て、銀行や証券会社に就職させようと考える父の思いはかみ合わず、口をきくことも少なくなっていった。そのような状況ではあったが、毛糸でハンドルカバーを編んであげた時は、口には出さずとも喜んで使っていたようだ。
ある日、通学のために乗った都電に父が乗務していた。恥ずかしそうに定期を差し出す私に、父も照れくさそうにうなずく。ドキドキと鳴り響く心臓の鼓動を聞かれまいと、私は奥へ奥へと足を進めた。高校を卒業するまでの三年間、父の運転する電車に乗り合わせたのは、この時を含めて二回。大塚仲町・教育大学・清水谷町の短い区間だったが、今も懐かしく、その時のことを思い出す。
父は都電が無くなるまで勤め、その後は都営地下鉄に移った。そして、二〇一六年五月三十日、九十三歳の生涯を閉じた。戦争から帰ってきて交通局に勤め、運転手として都電に乗務していたことを誇りにし、若い方々にその頃の話をしては喜んでいた。そんな父も、都電に乗って遠くへ旅立ってしまった。でも、私たちの心の中に、すぐそばに、父と都電は今もある。