心に残る花電車
鈴木 美枝 67歳 神奈川県秦野市在住
昭和三十年代。私が小学生の頃、自動車を利用する人が増えてきて、路面電車が少しずつ邪魔にされて来た。軌道敷を走る車もあり、路面電車の運転手が鳴らす「ブオーン」と言う音も、効果がなくなり始めていた。私も、東京タワーなど母と遠出する時は路面電車を利用したことがあるが、普段はほとんど徒歩で移動していた。
でもその日は違った。夕方になると、線路ぞいの歩道は人々であふれていた。「花電車が来るよ」と言われて大人についてきた私と姉、そして近所の人たちも仲仙道の仲宿付近に集まり、今か今かと電車を待っていた。小さな日の丸の旗が手渡された。
暗くなり始めた頃、喚声が響いた。暗い中から、普段は見ることがない明るい電車が二台、ゆっくりと近づいて来た。胸が高鳴る。紅白のたれ幕と、うす紙で作られ、運動会やお祭りで使われているような花に囲まれた大きな写真パネルが、ライトアップされていた。皇太子殿下と美智子妃の、ご成婚祝いのパレードである。
子どもながらに、ご成婚はおめでたいことだと分かっていた。現在のように、町中に電飾が少なかったこともあり、写真パネルを囲っていたライトの光が珍しく、キラキラして見えた。皇太子殿下と美智子妃、ご本人たちはいないのに、なぜか「バンザーイ」と言いながら、旗を一生懸命振った。帰り道は紅白のちょうちんを持ち、家までちょうちん行列をした。
モノクロからカラーへ、日本が彩り豊かになってきて、「何か良いことがありそう」という希望に満ちあふれていた時代。あの時の二台の路面電車は、庶民の憧れの象徴であった美智子妃のカチューシャと衣装を身に着けた姿と相まって、とても輝いていた花電車だった。