小さい都電・スパーク?
藤田 孝美 88歳 神奈川県茅ヶ崎市在住
飯田橋から赤坂溜池方面へ行く小さな都電(当時は市電)のことが忘れられない。大正期に製造された車両は、他の路線を通る都電の半分ほどの大きさしかなかった。小型の都電が終点に着くと車掌さんがポールと呼ばれていた電気をとる太い鉄棒をたぐりよせ、走ってきた方向の反対側までひっぱって架線につけ替える。紐を引くと、チンチンと鐘が二つ鳴り、運転手さんはそれを合図に発車装置のにぎりを胸元に引きよせて運転を開始する。
小型の都電は四輪のため、ブレーキがかかると運転台から前の方へつんのめるようになってしまう。こっくりしてかくんと、頭がなるのと同じように。これが私にとっては大好きな見物でありました。
当時の私は都電に乗ったら、すぐ運転台の脇に立って外を眺めつつ運転手さんの仕事ぶりを見ることに決めていたが、苦手なことが一つあった。それは運転台上部の電気装置が走行中に突然バアンと破裂音を出すことだった。
大きな音を出しても都電は何事もなかったように動き続け、運転手は運転を続ける。どうしてこんなことがおこるのかと電車にくわしい友に訊ねると「それはきつい坂などを登るとモーターがまいっておこすのだよ」ということだったが、「坂ではなく、平らな道でもおこすよ」と言うと、それ以上の説明はなかった。たしか「スパーク」って横文字も使っていた。
戦前の都電は木造車ばかりだったが、戦後は金属製の車体に一変。私も運転台の脇より空席を探す年令になったので、あの場面を見ることもなくなった。きっと改良されて、あんな音がでることもなくなったのだろう。
それにしても、どうしてあれはおこったのか、やさしく教えていただきたいものです。