十二年間の通学を共にした「一番」
白井 千賀子 67歳 神奈川県藤沢市在住
約六十年前、缶詰屋『松加屋』を営む我が家の目の前を、品川駅前から上野駅前をつなぐ、都電一系統が走っていました。最寄りの停留場は浜松町一丁目。そこから学校のある品川駅前まで、私は十二年間、この「一番」に乗り通学をしていました。通学路の半分位のところに三田電車営業所があり、ここで乗務員さんが交替していたように記憶しています。
ある日のことです。小学生の私は、「一番」の窓から入ってくる心地の良い爽やかな風のなか、ランドセルを下ろして、うたた寝をしてしまいました。気が付けば、浜松町一丁目。すぐに飛び起きて下車し、帰宅中にあっ!と忘れものに気づいたのです。急いで三田電車営業所に行くと、「お嬢ちゃん、大事な商売道具、忘れないように」。
係りのおじさんが笑顔を浮かべ、まだ新しいランドセルを両手で渡してくれ、ほっと胸をなでおろしたことを、初夏の風を感じる頃になるといつも思い出します。
我が家の窓のなかをいつも走っていた「一番」。大銀座祭の時には、飾り付けられ花電車(装飾電車)に。おめかししてどこか誇らしげでした。車掌さんの個性あふれるアナウンスや切符拝見の様子、行きも帰りも同じ車掌さんで嬉しかったことを覚えています。
その一系統が廃止になったのは昭和四十二年のこと。最後の運行の時、父の手ぬぐいで、大粒の涙をふきながら見た「一番」のプレートは忘れることができません。
今、当時の記憶が走馬灯のようによみがえります。都電の姿とともに、幼友だちや近所の人たちの顔が浮かび、あの時代の空気に包み込まれます。
この機会にぜひ一言。
「大切な思い出を、ほっこりとした通学時間をいつも一緒にありがとネ!一番」