フカフカまんじゅうの都電
江口 良一 83歳 東京都文京区在住
戦後間もない日本では、人々の暮らしは衣食住すべてに貧しかった。とりわけ食糧難はひどく、日々如何にして食べるかが問題の時代。中でも菓子や甘味などは、めったに口にすることができなかった。甘いものがあると聞けば、大の大人が目の色を変えて駆けつけるという情けないありさま。デパートなどで銘菓が競い合うように並べられ、何でも簡単に手に入る現代では、想像もつかない。
当時、中学生だった私は参考書などを求め、時折、神田へ出かけた。都電ニ系統か十八系統に乗り、神保町で降りる。目的地へ向かう途中、車内から何気なく窓の外に目を遣ると、町中にまだまだ焼け跡が見られたのが、強く印象に残っている。それでも、あちこちに古本屋があり、貴重な本が揃う神保町は、大好きな町だ。
そんな頃、神保町白山通りのある店で、まんじゅうが売り出された。といっても、いも餡に、ほんの少しあずきを混ぜただけのもの。せいろに入れられたままの状態で、蒸したてが売られている。甘味に飢えていた人々は、店に殺到した。我が家も例外ではなく、長男だった私は「食事の足しに」と親に言われるがまま、三日に一度は都電で買いにやらされた。個数限定だったため、何回も並び直して、家族全員分を手に入れた。うちではこのまんじゅうを「フカフカまんじゅう」と呼び、みんなで大事に食べた。
私は参考書目当てで神保町に行きたかったが、それどころではなくなった。食べ物、まして甘いまんじゅうなんて、なかなか手に入らないし、家族のためなら仕方がない。私にとって、都電ニ系統と十八系統は「フカフカまんじゅう」の思い出だ。