運転手さんに乗せて
もらったゴツイ電車
長島 敏昭 66歳 埼玉県さいたま市在住
昭和二十八年、当時三、四歳だった私は戸塚二丁目に住んでいたので、主に十五系統に乗っていました。でも、時々熊野前の親戚の家に行くために学習院下から三十二系統に乗って荒川車庫前で二十七系統に乗り換えました。三十二系統は、ゴツくて乗車口のステップが一段しかない古い電車がありました。いつもは親が乗せてくれていましたが、あるとき運転手さんが「坊や、両手を上げてごらん」と言いました。そして、私が上げた両手を持ってひょいと乗せてくれました。「坊や、早く一人で乗れるようになるといいね」と言ってニコニコしていました。それからは、三十二系統に乗るときにステップが一段のゴツイ電車だといつも両手を上げるようになりました。当時の私は、乗せてもらうのが嬉しくて、楽しくて、何度も手を上げたんだと思います。運転手さんも車掌さんもニコニコしながら両手を持って乗せてくれました。
今だったら、乗りにくい電車だと文句が出たりするのかもしれませんが、当時はそんなこともなく、みんなが少しずつ譲り合い、助け合っていたように思います。その頃の東京の街はのんびりしていて、車内で乗り合わせた人同士がおしゃべりをすることもありました。子どもの私にもおじいさんやおばあさんがよく声をかけてくれました。
都電は今でも一番の「親友」です。ちょっと面白くないことがあっても都電に乗ると気持ちがぱっと晴れるんです。暇なときは都電の一日乗車券を手に昔を懐かしんだり、いろんなことを想いながら、荒川線に乗っています。