焼け跡と父ちゃんの思い出
佐藤 洋子 79歳 東京都台東区在住
私が中学に上がった、昭和二十五年頃の思い出です。
姉が五人、弟が一人。私は姉弟の中では下の方だったこともあり、子煩悩だった父からとてもかわいがられた覚えがあります。そのため、父のことが大好きな「父ちゃん子」で、上野不忍池近くの印刷屋に勤めて居た父を、都電の大塚辻町の停留場へ、毎日のように迎えに行きました。
十六系統で帰って来るのですが、まだ焼け野原で、春日町の方から来る都電が大塚仲町まで見えました。春日町の方からは大塚辻町へ来る十六系統と、三崎町の方から来て池袋へ行く十七系統がありました。
大塚仲町の停留場へ着く都電のライトが見えると、
「あの都電に父ちゃん乗ってるかなあ」なんて考えて。でも、大塚仲町の交差点で、ポールの先から「ピカピカ」って火花が出て右へ曲がっちゃうと、
「十七番だ。父ちゃんの乗って来る都電じゃないや。まだ来ないのかなあ」なんて、ちょっとがっかりして。
真っ直ぐ来ると十六番だから、
「今度は父ちゃん乗ってるかなあ、乗ってないかなあ」って、わくわくしながら待っていて。父が降りて来ると嬉しくて。
いつも笑顔で、にこにこしていると近所でも評判だった父。そんな父は、都電から降りてきて私を見つけると、本当に嬉しそうな表情をしていました。
戦時中、仕事の関係で東京を離れられず自宅を守っていた父と、祖母や弟とともに親戚の家へ疎開した私は、一緒に過ごすことができない時期もありました。だからこそ、停留場から家まで父と歩いた時間は、父と過ごしたかけがえのないひと時。父と私、二人だけの、束の間の楽しい思い出です。