都電通勤の思い出
久保 緑 83歳 東京都西東京市在住
昭和三十年、二十一歳の頃、護国寺前から鎌倉河岸まで十七系統の都電で通勤が始まりました。雑司ヶ谷に住んでいましたので乗換なしの手段でした。勤務先は大手町K本社。建てたばかりの九階建の立派なビルで、当時は周りに何もなく、ニコライ堂の鐘が屋上から聞こえたり、気象庁が目の前に見えたりと爽快で、いかにも都心という感じで、今のOLの前身といえるような生活を送りました。
都電の車窓からの眺めが大好きでした。護国寺から大塚仲町へと坂を登り右に曲るとお茶の水女子大、跡見をはじめ小石川、竹早、教育大(筑波大)等々学園通りを抜けて後楽園を横目に三崎町へと下ります。十七系統はいつも学生さんがたくさん乗っていて、活気にあふれていました。時々は神保町に途中下車して古本を買うのも楽しみでした。
一番の思い出は給料日。昼休み、新常盤橋停留場を越えて日本橋・東洋というレストランに仲間と一緒に出かけたものです。それはちょっとした贅沢。みんなその日を待ちわびていました。当時都電は往復切符が確か二十五円であったと思います。
縦横に走る都電の遠い昔の記憶です。そのうち、地下鉄丸ノ内線が開通して十七系統も廃止となりオリンピックの工事が始まったのです。地下鉄は速かったですが、学生街を眺めながらのんびり乗れる都電がなくなったのは寂しいことでした。坂道を登るときのチンチン、ガタガタというあの都電の音は今も脳裏に響いています。