都電最後の日
小川 裕司 61歳 東京都中央区在住
一九六七年から都電が廃止され始めた。高校では鉄道研究会に入るくらい電車が大好きだったので、お小遣いで行ける範囲で、廃止が決まった都電に乗るようにした。
一九七二年十一月十一日、荒川線を残して都内から都電の消える日が来た。諸々の事情で予定の期日より撤去が遅れた。荒川線は存続しても、銀座通りなど、東京の大通りで都電の姿を見られなくなるさみしさに変わりはない。
当日は土曜日。昼間は高校の帰りに、須田町から本所吾妻橋まで二十四系統に乗った。運転席の後ろに立ち続けた。運転手さんは淡々と業務を遂行している。話しかけたい思いを走行中はぐっと堪えていた。降車の際、運転手さんに思わず「ありがとうございました」と声をかけた。まずは乗り納め。
夜は日本橋交差点に二十八系統の最終電車を見送りに行く。ラジオの企画で永六輔さん達が来ていた。晩秋の冷気の中でもそこそこ人が集まっていた。永代通りの歩道上から何台も電車を見送る。背後には東急百貨店日本橋店があった。
十一時過ぎ、最終電車が来た。車両にも飾りが付いていて、普段より少し華やかだ。永さん達も乗り込んだらしい。一般の方も乗車し、満員の電車が出発する。
自分も思わず走り出した。少しでも長く都電と一緒にいたくて、走る。電車に手を振る。車内から誰かが振り返してくれた。江戸橋交差点辺りまで追いかけた。闇の中に電車が走って行く。今よりもずっと寒い晩秋だった。
四十四年後の七月、永さんも旅立った。