チンチン電車と父の思い出
関 百合子 61歳 東京都墨田区在住
八年前、八十歳で亡くなった父は都電の運転手。父が現役で運転をしていた頃、私は小学生でした。
交替勤務のため、早番の日は朝早く出かけて昼過ぎには家で休んでいたり、遅番の日は夜遅くまで帰って来なかったりと、何となく普通のお父さんとは少し違うなと感じていました。
少し記憶に曖昧なところもありますが、現在のJR錦糸町駅南口のマルイの辺りに交通局の営業所があったと思います。交通局の先輩には倍賞千恵子・美津子さんの父上がおられると聞かされて、以来お二人をTV等で拝見する度に親近感を覚えたものです。
父の運転する都電に乗ったのは、覚えている限りでは一度きり。いつも自宅で見ている姿と違い、運転台に立つ父は凛々しく、格好良く、どこか別人に見えました。私は、そんな父の様子を見て、ちょっと照れくさいような気持ちになりました。
祝祭日になると走る「花電車」。きれいに飾られた都電を見ると、子供心にもウキウキしたものです。きっと父も乗っていたと思いますが、残念ながら、花電車を運転する父の姿を見ることはありませんでした。
父は、台風の日も出かけていきました。父のいない不安な夜。停電して真っ暗な家の中で母と二人、震えながら過ごしました。それでも、公共交通で沢山の命を預かって働く父の大変さを思い、また、幼心に漠然とではありますが、誇らしさも感じました。
結婚後は神奈川で暮らしていましたが、母が倒れたことをきっかけに東京へ。まさか、父が勤めた場所に住むことになるとは思いませんでした。「ここで暮らしなさい」という、都電の担い手として働いた父の導きかなと思っています。