青山車庫
作田 龍昭 63歳 東京都杉並区在住
中学生の頃、休日といえば都電好きな友人二人と目的もなく電車に乗り、都内巡りをしていました。我々が中学生だった昭和四十年代初めは東京の東西南北に都電が走り、どこへでも自由に行けたものです。車の数も増えつつあり、世間では都電はのろくて時間がかかる、と不評でしたが、中学生にはどこまで乗っても二十円の都電という移動手段は魅力的でした。
僕たちは都電に乗るだけでは飽きたらず、写真撮影も始め、車の少ない時間帯、主に休日の早朝にあちこちでかけては、いろいろな系統の都電を写していました。同じ電車を撮影して友人と写真を見せ合ったりしたものです。
三人はいつか車庫に入ってみたいと思っていました。ある日、青山車庫の入口で思い切って「中を見せてください」とお願いすると、意外なほど簡単に「いいよ、気をつけてな」と、入れてもらえました。
そこには青山のおしゃれな表通りの雰囲気とは異なる、巨大な都電の基地がありました。広大な敷地には何十もの車両が並び、作業服で油にまみれながら一生懸命に整備や清掃をするおじさんたちがいました。
役目を終えて外から帰ってきた都電は、線路の張り巡らされた敷地を移動し、自分の番号の線路に入り、点検を受け、中には洗車台を通り、汚れを落としているものもありました。車庫内をゆっくりゆっくり、 “ゴットン、ゴットン”と都電が線路を刻む音。今でも青山車庫の風景とともに耳に残っています。
その後、社会人になって友人たちと撮りためた懐かしい都電の写真集を作ってみました。今でも中学時代の仲間と会えば、都電で行った所の写真で昔と今の街を比べ大いに盛り上がっています。
※現在、イベント開催時に限り、車庫内の見学が可能です。