花電車の思い出
市村 孝史 67歳 東京都文京区在住
小さい頃から都電が好きで、車両の型や路線を覚えては父や母とともに、都電に乗りに行っていました。乗り込むと運転手さんの後ろを陣取り、運転する手元を見て楽しんでいました。
なかでも一番思い出に残っているのは、昭和三十年代の小学校時代。僕は年に一度の十月一日「都民の日」を楽しみにしていました。当日は学校が休みになるだけでなく、清水昆さんが描かれた“河童のバッジ”をつけていれば、上野動物園などの施設に無料で入ることができたからです。毎年変わる河童のデザインのバッジも魅力的で、その日は朝から友達と一緒に遊びに行き、夜になると家族で花電車を見に行くのが都民の日の過ごし方になっていました。
毎年、新聞で花電車の運行コースと通過時間を調べて見学場所を決め、家族で出かけるのですが、僕にはお気に入りの場所がありました。それは不忍通りの根津神社裏門坂下で、道路がカーブする特等席。夜の電車通りを上野方面から根津、千駄木へと電飾に飾られた華やかな電車が数台連なって、ゆっくりと走ってきます。明るい光を放ちながら、こちらへ向かってくると、どこらかともなく歓声があがり、目の前を通るときは人々の顔を明るく照らしながら通り過ぎてゆきます。みんなの嬉しそうな声と顔、その様子に僕の心も踊りました。
いつも乗っている電車はキレイに飾られて先頭を走り、次は普段見ることのない屋根も窓もない貨物用の電車に運転手が立ち、荷台は舞台のように人形やセットで飾られて、数台続きます。花電車が行ってしまった後も、名残惜しくてずっと見送っていました。今でもお祭りの時期になると、あの頃に見た花電車を思い出します。